三笠とくれば大和でしょうね!

| コメント(0)
D03_8277.jpg
Nikon D3 + AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8G ED

戦艦三笠は実物でしたが、戦艦大和は模型です。(当たり前ですね。沈没してますから...)
ここ広島県呉市の大和ミュージアムに行っていたのも昨年7月でした。

大和の技術
D03_8280.jpg

<ブロック工法・先行艤装>
従来の工法では、艤装の大半は進水してから行われていましたが、「大和」では、船体の組み立てと平行して艤装を行う先行艤装が採用され、建造期間を短縮することができました。
こうした技術は、戦後、造船業だけでなく高層ビルなどの建築にも活用されています。

<生産管理システム>
「大和」の工事では工数制御方式などの科学的管理方法を本格的に取り入れました。これにより問題の早期解決や工事の進行具合の把握が容易になり、これまでのどの艦船よりも、重量比で低工数、低コストで建造することが出来ました。
こうした技術は、戦後約10年で日本が世界一の造船国となる礎となりました。

<精密光学機器>
目標までの距離を測る「大和」の15メートル測距儀(そっきょぎ)は世界一の大きさと性能を持っていました。2組の上下像合致式とステレオ式の3連装式で構成され、目標を正確に測距できました。
こうした技術は、戦後、カメラなどの精密光学機器に大きな影響を与え、日本の精密光学機器産業を世界有数のものに育て上げました。

<球状艦首(バルバスバウ)>
艦首の水線下に球状の突起をつけることで、速力27ノットで約8パーセントの造波抵抗を減らすことができ、有効馬力の節約と航続距離の増大に繋がりました。
戦後、この球状艦首は、世界の大型タンカーから漁船に至るまで幅広く利用されています。

<弱電技術>
「大和」では士官室と兵員室に冷暖房が利用されており、夏でも27℃くらいの気温が保たれ、他の艦からは「大和ホテル」と呼ばれていました。
冷凍・冷蔵庫も223.4立方メートルという非常に巨大なもので、乗組員が約1ヶ月無寄港で十分に食べられる量の食料を摘んでいました。
こうした技術は、戦後、弱電(家電)技術の基盤となっています。

<46センチ3連装主砲>
「大和」の主砲は重さ約1.5トンの砲弾を約40秒ごとに一弾発射出来ました。砲塔は1基あたりの重量が2,760トンもあり、これは駆逐艦1隻の重量に指摘する巨大なものでした。
主砲などを製造した工作機械は、千語は大型船のクランク軸製造に使用され、また砲塔の組立とその性能を調査するためのピットは、現在、原子炉の圧力容器の漏れを調査する水圧試験などに利用されています。

<製鋼技術>
「大和」の特殊な装甲鈑は佐々川清技術大佐(のち技術少将)により開発されました。従来の装甲鈑に比べ対弾効力が高く、製造期間は約半分という画期的なもので、製造原価の低減にも役立ちました。
こうした技術は、戦後、特殊鋼の製造に活用されています。

<発電と配電技術>
「大和」の発電機は、225ボルト、600キロワットのディーゼル型4基、ターボ型4機の計8機で4,800キロワットの発電力がありました。また、攻撃を受けたときの被害を最小限にするために、1基を1室に配置し、各室ができるだけ遠ざけられていました。
こうした技術は戦後、大型発電機の発達を促しました。

<主機(タービン)>
「大和」は4機の艦本式タービンを搭載し、出力150,000馬力を発揮しました。機関の設計は信頼性と安全性を重視したものになっていました。

<推進器(スクリュー)>
「やまと」の推進器は3枚翼で直径5メートルの日本で初めてつくられる超大型推進器でした。呉海軍工廠の鋳造鋳物技術の集大成といえるもので、戦後の鋳物技術の基盤となっています。

<操舵性能(舵)>
従来の戦艦の2枚舵は左右に並べて装備されていましたが、「大和」では約15メートル離して前後に装備し、同時に被害を受けにくいようにしました。旋回性能も船体が大きいにも関わらず良好でした。

D03_8282.jpg D03_8286.jpg D03_8290.jpg

D03_8292.jpg D03_8300.jpg D03_8301.jpg

D03_8302.jpg D03_8303.jpg D03_8273.jpg

コメントする

  
  
Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、管理人が2009年7月10日 10:25に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「うしろ姿」です。

次のブログ記事は「納涼大会」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。